【おデブ記事】悲報!かっかの体重が10年で30kgも増量したお話(´;ω;`)ブワッ
みなさんこんばんは、かっかでございます。
もうすぐゴールデンウィークがやってきますが、今年はコロナウィルスの影響でほとんどお出かけをすることなくただただじっと過ごす連休になってしまいそうですね。
ちなみにかっかの連休のご予定はと言いますと、交代勤務のために連休は見事お仕事(しかも夜勤(´;ω;`))でございます!
社畜として過ごすゴールデンウィークも今回が多分人生最後だから思いっきり楽しむぜー!(ポジティブシンキング)
さてさて、本題に入りまして本日は高校を卒業してから現在までにかっかが30kgも成長してしまったお話をしたいと思います。
いや、成長というかただ単に太っただけのお話なんですけどね・・・笑
もしかしたらこの記事を読んでくれている人の中にも同じような境遇の人や同じ悩みを持っている人がいるんじゃないかなぁと思いますので、そんな人は俺も、わたしも同じだと思いながら是非是非最後までご覧ください!
お恥ずかしながら増量する前の画像や現在の画像、現在の体重についても赤裸々につづっていきたいと思います。
かっかの高校時代
画像からもお分かりになる通り、高校時代のかっかは痩せ型とは言わなくても、割と普通の体型をしていました。
高校時代では授業で体育がありましたし、部活動でフィールドホッケーもしており、1番のやせていた理由は自宅から学校まで片道20kmの距離を毎日自転車で通学していたからです。
毎日自転車をこいで学校へ向かい、授業で体育をこなし、放課後には部活動で汗を流すという生活を毎日送っていたので強制的に運動から消費されるカロリーがかなり多くなり、高校時代は現在の倍以上ご飯を食べていましたが、このように痩せていました。
幼少期は体を動かすことがとても嫌いで運動は全くできなかったのですが、高校時代は比較的体を動かすことが好きで本当にどれだけ食べても運動でカロリーが消費されていくため全く太らないという生活をしていました。
部活動を引退しても毎日の通学は自転車だったので高校卒業まではこの体型を維持していました。
高校時代の生活習慣は完全に早寝早起きの生活をしており、毎日遅くとも10時までには就寝して、翌朝6時までには起床、6:30には家を出るという生活をしていました。
というよりもこの生活をしていなければ睡眠時間が確保できないし、自転車で毎日20kmの距離を通学するのは1時間以上時間がかかるためこれ以上遅く起きているとそもそも学校に間に合わなかったので強制的にこのライフサイクルになっていました。
しかし、高校卒業後この生活が一変します。
社会人1~3年目
高校時代の就職試験に無事合格し現在も勤務している会社に新卒として入社しました。
交代勤務の要員として採用されましたが、入社してからいきなり交代勤務に入るということはなく9月ごろまでは平日の昼間勤務で研修などを行っていたためそれまでは夕方6時までには自宅に帰り、高校時代から運動するきっかけがかなり減ってしまっていたので積極的にランニングや筋トレなどを行っていました。
ご飯を食べる量に関しては高校時代と変わらず、かなりの大食いだったのですが、日頃から運動をしたり弟と一緒に野球をして遊んだりと体を動かすことがかなり多かったので体重を維持することができていました。
しかしその後は交代勤務に配属され、12時間半という長い勤務時間に加えて夜勤が始まり必然的に不規則な生活が始まりました。
そこから体重がみるみる増加するまでにそう時間はかかりませんでした。
社会人1年目が終わり2年目に入るころにはすでに5kgほど体重が増えており、会社の先輩や上司からも「少しぽっちゃりしてきたみたいだね」と言われるようになっていました。
交代勤務に入ってからすぐあとは休日中に運動をしたりしていましたが、車通勤とはいえ実家から会社まで20km以上の距離を運転して通勤し、12時間半の勤務をこなしてまた運転して帰宅する、という生活でだんだんと疲労が蓄積され、2年目の春を迎えるころには休日はほとんどを家でゴロゴロして過ごすということが多くなりました。
しかし、ご飯を食べる量は依然と変わらず、加えて夜勤等もあり食事の時間や睡眠時間が不規則になり太る要因以外ないような環境が出来上がっていました。
入社してから3年目ともなるとすでに10kg以上体重が増えており健康診断でも要検査で引っ掛かり後日病院で精密検査を受けたりと高校時代の健康的な体型とはかけ離れた姿になっていました。
ここまで体重が増えると明らかに体型も以前とは別人のようになり、自分のスタイルに自信がなくなりとうとう休日に引きこもる生活を送るようになっていました。
それまでは少しでも運動して痩せなきゃという気持ちがあり何とか気力で運動をしていましたが、増え続ける体重にこれまでできていたランニングなどが出来なくなり、いくら運動をしても痩せない体に嫌気がさして最終的には運動をすることすらやめてしまいました。
この挫折がのちに自分の体調、心に大きな問題を引き起こすことになるとは知らないまま。
入社5年目付近
入社5年目に差し掛かると高校卒業時より体重がすでに20kg以上増加しており、毎日のように体重が増えているというような状況でした。
この頃には自分に自信がすっかりなくなり学生時代に仲の良かった友達に会うことすら嫌になってしまい仕事以外では人と関わらない生活を送っていました。
この頃も実家で生活をしていましたが、これまであまりしてこなかったテレビゲームなどを購入してこれまで以上に家から外出することもなくなり、運動も何年していないだろうという状態になっていました。
ここまでくると服装だけでなく髪の毛などの身だしなみにも気を遣うことがなくなり、何もかもがどうでもいいとさえ思ってしまっていました。
入社6年目にもなると本当にすべての感情がなくなってしまいただ淡々と仕事をこなしては家に帰り引きこもる生活、そしてとうとう健康診断時に「軽い抑うつ状態になっている」との診断が出されました。
それから体調が悪くなるまでにそう時間はかかりませんでした。
抑うつ状態であるという診断を受けてからしばらくしたのち、ある日いきなり睡眠をとることが出来なくなってきました。
すんなり眠れたと思っても2時間程度で目が覚めてまた眠れなくなってしまう、不眠症の始まりでした。
入社7年目以降
この頃は現在の嫁さんと出会い、付き合い始めたことをきっかけにデートで少しづつ外出することが多くなっていきました。
と言っても自分は交代勤務で嫁さんは保育士、休日が合うのはまれでひどいときには半年ほど会えない時期もありました。
ただ、嫁さんがボウリングが好きで自分もボウリングは昔して楽しかった記憶があるのでデートはもっぱら宮崎市内にあるラウンドワンでボウリングと決まっていました。
たまにしか会えないけどデートではボウリングで体を動かしてストレスを発散することができたのでとても楽しく、気が付けば専用のシューズを購入してマイボウルまで所持するようになっていました。
このことをきっかけに体を動かすことの大切さを改めて実感し、休日に余裕があるときは少しでも運動をしようと散歩をしたり体力に余裕があるときは少しランニングをしたりと運動する機会が増えました。
また、会社の同僚から原付のスポーツバイク ホンダNS-1を譲り受けたことをきっかけにツーリングにハマり、平日の休みは1人でバイクにまたがり温泉へ行ったり、同僚とツーリングを楽しんだりと積極的に外出をするようになってきました。
彼女との出会い、同僚からバイクを譲り受けたことをきっかけに、このまま引きこもってばかりではいけない、少しでも変わっていかなければという思いが日増しに強くなり、身だしなみはもちろん服装にも少しづつ気を付けるようにしていきました。
この時すでに体重は高校卒業時より30kg以上増加・・・
心を入れ替えるには少し遅すぎたような気も自分の中でしていましたが、だからと言ってまたふさぎ込んでもよくはならないと思い運動も外出も積極的にするようになりました。
入社8、9年目
付き合っていた妻と無事にゴールインし現在も住んでいる日向市へ引っ越しました。
結婚してからは夫婦でいる時間が比較的多くなっていきお互い有給もありどちらかが休みを合わせてお出かけするという機会もかなり増えました。
運動や外出することが多くなり、体重の増加は比較的緩やかになっていました。
結婚して1年近く経過したころ、お互いの休みがまとまって取れるめどが立ったので遅くなったけど新婚旅行に行こうかというお話をしていたところに妊娠が発覚し、翌年の夏に無事ジュニアが誕生しました。
ジュニア誕生の少しあと、NS-1を譲ってくれた同僚から自分の中で人生のターニングポイントとなるお誘いを受けます。
そう、サバイバルゲームのお誘いです。
サバイバルゲームという言葉はニュースなどで何度か聞いたことがあるくらいで実際にはどんなものなのか全く知らなかったし、エアガンを撃ち合うスポーツだと聞いて危なくないだろうかという不安や銃にも全く興味がなかったので最初はあまり乗り気ではありませんでした。
しかし、一番仲のいい同僚のお誘いということもあり会社のメンバーを募って川南町にあるサバイバルゲームフィールド「ホークウッド」さんへ人生初のサバイバルゲームを体験に行きました。
当日「ホークウッド」さんに到着すると、平日だったので会社メンバーだけかと思ったら常連さんも数名いらっしゃり、みんなでサバイバルゲームをすることに。
ちなみにこの時の常連さんは今でも大切なサバゲー愛好家兼友人です♪
店長の人柄の良さや常連さんのやさしさ、わからないことは何度も丁寧に教えてくれたり常連さんの銃を撃たせてもらったりと今までにしたことない経験を1日でして、帰るころにはすっかりサバイバルゲームにはまっていました。
ボウリングとサバイバルゲーム、体を動かすスポーツがまた1つ増えたことで運動機会がさらに多くなり、体重も増加から減少とはいかないまでも維持することができるようになっていました。
現在
サバイバルゲームにハマってというものボウリングとサバイバルゲーム、育児が生活の中心になりました。
しかし残念なことに家庭のことをしているとバイクに乗る機会がすっかりなくなってしまい、NS-1とはお別れをすることに・・・。
乗らずに朽ちていくよりも大切に整備しながら乗ってくれるオーナーさんへ渡したほうが幸せだろうと泣く泣く手放しました。
そして延岡市に新しいサバイバルゲームフィールド「フォートレスト」さんが完成してからはサバイバルゲームは延岡市メインで行うようになりました。
サバイバルゲームの基本的な格好は森林だと迷彩服が多い中、すっかり目立ちたがり屋になってしまったかっかは何をとち狂ったのかガチャピンとムックというド派手な格好でサバゲーをするように・・・。
この頃のかっかの心情はというと、「太っていることに悲観していても楽しい人生は遅れない、簡単に痩せないのはわかっているのならこの現状を精一杯楽しんでみるのもいいのではないだろうか」というものに変わっており、周りから太っているといわれてもそれを受け止めて落ち込むのではなく、逆手にとって笑いに変えていくほうが自分のストレスにもならないし周りにも悪い印象を与えなくて済むのではとコンプレックスではなくチャームポイントとしてとらえるようになりました。
かといってダイエットをあきらめているわけではなく、サバゲーなど運動するきっかけがあるのでそれをモチベーションとして運動を頑張り気長にダイエットしていけばよいと思うようにもなりました。
それと同時に食事も見直すようになりできるだけ自炊をして栄養バランスを考えた食事をしようと心に決めて現在も料理をしています。
心情は変えられた!しかし・・・
ここまで読むとポジティブに考えることですべてが良い方向に向かいつつあると思いますが、ただ1つだけ変わらないことがありました。
それは夜勤に対するストレスと不眠症です。
もともと自分は徹夜や夜更かしをすることが大の苦手で、就職活動をする際にも親と担任の先生に「交代勤務だけは絶対に嫌だ」ということを伝えており、それを条件に就職活動をしていました。
それなのになぜ現在の会社に入社したのかというと、親のどうしても地元に残っていてほしいという要望、家庭の事情もあり(父親がろくな人間でなく家にお金を全く入れていなかった)できるだけ給料の良い会社にしようとしていました。
その結果、交代制が嫌だという条件を妥協することで何とか給料の良い現在の会社に就職したという流れです。
就職後も家族には「交代勤務は長くて10年、短くて妹と弟が無事就職できるようになるまでは続ける、その後のことはその時にこれから交代制を続けられそうなら引き続き頑張るし、無理そうなら自分のために転職をする」という旨を伝えていました。
それほど、交代勤務、もとい夜勤というのは自分の中でつらいものでした。
そして10年以上経過した今、出た答えがこれ以上の交代勤務は無理だということで本年の6月末で退職をする決意をしました。
不眠症も発症してから数年経過しますが、カウンセリングを受けても薬を飲んでも改善することはなく、医師からも交代制を続けて高いストレスを受けている限り治ることは厳しいだろうという診断でした。
この診断が出されたのが数年前、もちろん上司にも相談をして何とか交代勤務から別の部署への異動はできないだろうかと現在の会社に残るための相談はしてきました。
しかし、上司からの返事は何度相談しても、何度検討してもらっても「No」の一択のみ。
会社の方針としては体調不良などを理由に部署の異動をすることはない。
体調が悪いのであれば病院に通うなりしっかり休むなりして体調を整えて勤務をしてほしいというものでした。
そして、どうしても無理なのであれば退職という手段しかないという宣言。
このまま無理して働くか無理なら去れというのが会社からの回答でした。
この回答を得て会社専属の産業医とも相談、もちろんかかりつけの医師とも相談し最終的に退職を決めました。
まとめ
これまで、かっかが高校卒業からこれまでに体重が増加してきた経緯から、会社の退職までを書いてみましたが、もしかしたら同じ境遇の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ちなみに不眠症は現在も治っておらず、眠っても1時間に1回は目が覚めてしまったり、全く眠れなかったりという状態が続いています。
さらには不眠症が積み重なり1年ほど前から過眠症の症状も現れるようになっており、体調的にはこれまでで最悪の状態となっています。
それでも、心だけは元気でいようと毎日ポジティブに過ごしているため、パッと見た感じだとかなり元気に過ごしているようにも感じられています。
これからダイエットにも取り組んでいく予定ですが、ストレスと睡眠不足はダイエットの一番の天敵です。
産業医の先生も最初はダイエットしろダイエットしろと口うるさく言うだけでしたが、診断書とともに自分の現状を伝えたところダイエットどころではないとようやく認識をしていただき現在は1か月に1度面談をして体調の経過観察をしています。
太っている人は自己管理ができていないからだ、だらしない性格をしているからだといわれることもかなりあります(実際自分が祖父や親せきからそのように何度も言われてつらい思いをしてきました)
確かに自分の太り始めたきっかけは自身の自己管理の甘さからだと自分でも思っているので否定はできません。
しかし、世の中のすべての人が同じ原因で太っているわけではありませんし中にはひっそりとダイエットを決意してだれにも言わずに隠れた努力をしている人だってたくさんいます。
そんな人に向かって「最近太ったね」や「ダイエットしたほうがいいんじゃない」という言葉は一番発してはいけない言葉です。
現に、太っている人に「太っている」と直接伝えた場合さらに体重が増加するという実証データもあります。
なぜか、その言葉が本人にとってとてつもないストレスになっているからです。
先ほども言ったようにストレスはダイエットにとって天敵です。
心配する気持ちも分かりますが、本人に向かって「ダイエットしたほうがいいよ」、「体重もう少しきをつけたら」という言葉を言うのは我慢してください。
この言葉は仲のいい人、身内ほど言いたくなると思いますが、ぐっとこらえて見守ってください。(しかし、本人が全く努力しようとする気配がない場合は除く)
その言葉の重さを体重が増加してから自分もいやというほど思い知りました。
だからこそこのブログを立ち上げたといっても過言ではありません。
最後に:太っている方、ダイエットをしようと努力している方へ
自分も30Kg以上増加しておデブになり現在も毎日生活送っています。
太ってしまったとき、自分の体に絶望し何もする気力がなくなり、余計に太ってしまったことを現在も反省しています。
太ってしまった自分自身だからこそ辛さが少しはわかりますし、周りからの目線や言われる言葉に敏感に反応してしまうのもとても分かります。
だからと言って太っているというだけで人生を人生をあきらめてしまうこと、何もせずにひたすら引きこもってしまったりふさぎ込んでしまうことはとてももったいないと思います。
太ってしまった事実は変えられないし、中には病気でどうしても痩せられない人もいるでしょう。
でも、だからと言って自分は何をしてもダメなのだと思っていても楽しいことなんて全くないしいいことなんて何もありません。
実際に自分がそうでした。
ならば、現状をしっかりと受け止めて自分がしたいことに改めて向き合ってみるのはいかがでしょうか。
自分も会社の同僚や嫁さんがきっかけで変わることができました。
この記事に出会ってくれたならばこの記事の中のかっかをきっかけに思い切って一歩を踏み出してみてください。
きっと、おデブさんでもそこには楽しくて明るい未来が待っていると思います☆
おデブさんだからと言って何もできないわけじゃありません。
現に自分はボウリングやサバゲー、サーキット走行などいろんな趣味を楽しんでいますし、おしゃれもある程度はできます。
かっかの服装などについては今後記事にしていきたいと思うのでセンスのないかっかの服装をみて俺のほうが、私のほうがもっとおしゃれできると鼻で笑ってください!
何のとりえもない、一時期はどうしようもなくふさぎ込んでしまったかっかですが、それでも今では勇気を出して一歩を踏み出し以前よりははるかに楽しい生活を送れています。
太っていてもやろうと思えばなんだってできるということをこのブログを通してこれからもたくさん配信していきたいと思うので、ぜひ今後も見てください。
そしてダイエットを頑張っている人へ!
ダイエット何度も失敗しているかっかからのアドバイスですが、早く体重を落とそう落とそうと焦らずに、ゆっくりゆっくりのんびりと頑張ってみてください。
本当に太っている人はそう簡単に体重はすとんと落ちません!
これからかっかのダイエット記録をしていくので、ぜひ一緒に頑張っていきましょう☆
長くなりましたが、これで今回の記事を終わりたいと思います。
世界中のおデブさんとダイエッターに栄光あれ!!